片道弾丸

団塊世代の知人の話です。
富士登山の途中、樹海の中だったというから、そう高くないところだったんだろうね。夜を徹して頂上を目指すといういわゆる弾丸登山の列を外れ、闇の中に身をゆだねたんだそうな。奥さんを亡くして、自分もひとり暮らしがどうにも辛かったらしい。早く奥さんのところに行きたかったんだろう。崖っぷちから深い闇へ飛んだんだそうな。
しばらく気を失って目を覚ましたのが木の枝の上だったらしい。リュックサックが引っかかったみたいだ。どのくらいの高さか分からないが、うっかり落ちると死んでしまう。そのつもりで身を投げた割には、こうなってみると意外と情けない。
「うーん」と唸ってみた。
「うーん」
あれ?引っかかってるのは自分だけではないらしい。
「誰かいるのか」
「わたし、死ぬために飛び降りたんです」
女の声だ。
「同じだね」
「でも、枝に引っかかっちゃって」
「同じだね」
少し間をおいて、女の声がまた返ってきた。
「・・・勇気出さなくっちゃ、死ぬに死ねないわ。それじゃ、どこのどなたさんか知りませんが、お先に行きますので。助けてあげられなくてごめんなさいね」
何だかガサゴソ暴れる音がして、どさっと地上に落ちたようだ。
「バカ言っちゃいけない、先に死なれるのは困る」
負けてなるものかとこちらも最後の力を振り絞って手足をバタバタさせてもがいた。
「ぼきっ」
枝が折れて落下した。と思ったら樹の葉の中に埋もれるように落ちていた。
死ねなかったか。でも富士の崖っぷちの下の樹海の真ん中だから、もう助からんだろうな。そう思いながら気を失ってしまった。
しばらく経って意識を取り直した。ふと横を見ると女が並んでのびていた。薄明かりの中で顔が見えた。いつのまにか夜が明けてしまったようだ。
「○○子・・・」
妻の、少し若い頃にそっくりだ。額に血の跡が滲んでいた。このまま一緒に死のう。神様のはからいだと感じながら、男は目を閉じた。
・・・結局このあと、二人は一緒に生きることになったらしい。やれやれ、よかったね。